来 歴


阿部公房
最もノーベル文学賞に近いとされた稀代の作家。谷田昌平と牟礼慶子とは家族ぐるみの付き合いをしていた。
牟礼慶子の魂の領分、日日変幻、夜の中の鳥たちは安部真知夫人の装幀。

(昭和37年4月29日 中津川渓谷 撮影山嵩登氏)
昭和37年4月に二年越しの砂の女を書き終えて肩の荷を下ろした阿部さんを神奈川の
中津川にハヤ釣りに案内した折のものである。真知夫人、娘のねりちゃん、新潮社の友人
山嵩登君、私の家内(牟礼慶子)も一緒で、前年暮に免許をとったばかりの私が運転する
ちいさなルノーで、阿部さんの車の後について、断崖の続く渓谷沿いの細い道を必死の思いで
走った折のことなどが思い出される。(谷田昌平著 回想 戦後の文学より抜粋)
(富士スピードウエイにて。中央は牟礼慶子 左は真知夫人)
(同上)
(昭和36年11月9日 島尾敏雄を励ます会にて 撮影谷田昌平)
(同上)


その他写真