来 歴

きみの中の赤い海


きみは円形の水平線を
視野のいちばん遠くへ引いてしまう
そのあとでおもむろに泳ぎ出すのだ
まばゆい向こう側が
無傷の未来だと信じるうちは
青い波をけなげにも掻きわけ
妄想のうねりの上へ首をあげて
いつも深呼吸をすることができた
しかし今は泥色の塩に目をはらして
きみはきみの目の中の赤い海を泳ぎ続ける

別のきみは怠惰な群衆を
根こそぎ引き抜いて海へ捨てに行く
あとから来る者がつまずかないように
立ち止まらないように迷わないように
きみは眠らずに監視する
海への道がこわされないように
岬の風景が見失われないように
砂を敷きつめた上に
夏の光までふりこぼす
踏むたびに無垢の足を刺しにくる
乾いた魚の骨を憎むのはやめだ
なまぬるい血を道しるべにして
きみはきみの海への道を走り続ける

また別のきみは
きみの海と同じ大きさの地図を
きみの赤い色で塗りつぶしている
まず自分の部屋の戸口から出発だ
ひと足ごとにたんねんに塗り変えて行く
やがて古い標識も新しい標識もなくなり
のっぺらぼうの砂浜で
きみはきみ自身の浮標を求めて
迷いぬく日が来るに違いない
引き返そうとするすぐ足の下まで
もう次の新しい波が押し寄せていて
きみは帰る自由を剥奪され
哀れな老人の仮面をつけて立ちすくむ
きみは荒磯から飛び立てない海鳥
永遠に痩せた旅人となり
きみはきみの中の
赤く塗られた海に溺れるしかないのだ

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