来 歴

夜明けの部屋の海


ゆるんだ栓のすきまから
水が落ちつづける
部屋の中に少しずつ海がはいりこむ
傷ついて流した血を
なまぬるい水で洗った記憶なら
誰にもある
しかしなまぐさいあの朝のにおいを
誰ももうあまり語りたがらない
けれど夜明けといっしょに
血のにおいのする海が
部屋いっぱいにひろがるのだ

水の色は年ごとに希薄になり
?の羽もあらいざらしになっているのに
ことばの波だけは
同じ痛さでわたしをうちつづける
悪い予想を掻き分け掻き分けして
潮にのったなめらかな腕も
くらやみの空を自在にぬりつぶして
星をちりばめたよく光る目も
はるかうしろの波間に置き去りだ
愛する前に溺れてしまうことだ
もしも理不尽な愛がこみあげてきて
ある朝とても困るなら
ベッドの上に吐き出すのだ
塩からい水を呑みまた呑み
その水の分だけ吐きなおす
涙を流しながら吐きつづけることだ

すきとおっていなくてもいい
風にそそけだった松林や
べたべたまつわりつく潮風や
そっぽを向いたきりで
ぶつぶつつぶやいている波音でいい
あとはもうすっかり溺れて
きたない海になりきるまで
夜明けの部屋の中に漂っていよう
からだじゅうの力を
背骨の下のほうへ押し込んで
さあきたない手で海と握手
私と海をつないでいたのは
あのウルトラマリーンではなく
同じきたなさで
青い空を見上げることだったのだ

ゆるんだ栓のすきまから
水が落ちつづける
重たい夜明けの部屋の中が
なまぐさい海になってしまっても
さあきたない口で海とキス
狭い出口へ向かって
まぶしい光へ向かって泳いで行こう

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